刀剣の第一発見者になった話(その5)

繊維状の錆
仕上がり2

前回、ヘンドリッキさんのおかげで見事によみがえった短刀なんですが、この状態だとまだ問題がありまして。

何かというと、刀身はきれいになったけれど、もともと刀身が収まっていた鞘の中に、錆が残っていると。

例の繊維みたいにまとわりついてた赤錆ですね。あれが鞘の中に残っていて、ある程度は取り除いたけれど、100%は無理だから、この鞘に刀身を戻したらすぐ錆が付着して、そこからまた錆びる可能性があるとのこと。

せっかくこれだけきれいになった刀を錆びさせるのは避けたいので、追加で白鞘を作ってもらうことにしました。(これはまた別の鞘師という職人さんの作業)

そこからさらに数週間で、最終的にはこうなりました。

白鞘

物の本によると、刀って常にあの拵えのついた状態で置いておくものでもなく、使わないやつは白鞘の中で「休ませる」みたいにして保存するものだったみたいですね。もしかしたらこの短刀も、祖母の家のどこかに白鞘があったのかも、もしくはまだあるのかもしれない。

白鞘と刀身

元の拵えは拵えで保存し、刀身は白鞘の中に保存し、定期的に油を引いて、錆びないように保護し続けます。


いやもう、いろいろ勉強になりました。刀剣。

刀剣女子な方々はもちろん、最近はふなっしー先生がYouTube等で熱く刀を語ってますし、鬼滅の刃[kimetsu.com]も「刀鍛冶の里」編がアニメ化されますし、刀とかその周囲にいる職人さんにさらに関心集まりそうですね。


稲葉家墓

さらに数ヶ月後、秋も深まったある日、やってきたのは祖母の実家である稲葉家のお墓。

この稲葉という家は、信濃松代藩の真田家(真田丸の幸村/信繁ではなくて、お兄ちゃんの信之/信幸さんの方ね)に仕えていたそうですよ。

むかーし、私が小学生くらいのころ、祖母から、さらにその祖父ぐらいの人が亡くなったときの芳名帳を見せてもらったことがあって、その中に「子爵 真田某」という名前があったのと(伯爵だったかもしれない)、小布施のほうにも家があったという話も聞いたので、まあそのあたりのつながりは確かにあったんでしょう。

おそらくは、幕末期にどこかで作られて、江戸か信濃で稲葉の誰かが手に入れて、何代かを経て、昭和初期に祖母に持たされた短刀なんでしょうね。

で、そのまま放置されて錆だらけになって、孫の代で発見されて、令和の2022年に研ぎ直されて戻ってきたと。

墓前でご報告

お墓の前で先祖にご報告。置き方に作法があるのかどうか知らないけど、刃を自分のほうに向けておけば失礼はないだろうと。

多少の孝行になりましたかね?

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