これはガッカリ。オススメしません(期待していただけに口調がいらだってます。関係者の方はご容赦を)。
映画でも小説でも落語でも歌でも、「作品」と名の付くモノには「テーマ」自体を評価するか、「描写」を楽しむかの二通りがあると思っているのです。作品自体が受け手に対してなにかを強く訴えるとすればもちろん名作でしょうし、そうでなくても、たとえば「あの噺家のそばを食う様子がいい」みたいな評価の仕方もあると思います。
申し訳ないけれど、この本にはどちらもない。あるのは広告代理店臭だけ。帯に大きなポイントの字で書いてある「CM好感度調査で1位を獲得!」って、そんな業界の話は絵本好き・キャラクター好きにはどうでもいい話なんだが。
純粋なキャラクターのファンとしては面白い部分もいくつかあります。ドコモダケの水面移動の方法とか、ドコモダケの住んでいる場所の地図とか。でも、「キャラクターが語る」のと、「キャラクターを語る」のは違いますよね。最低でも「キャラクターが語る」部分が欲しいと思ってるんですが、そういうものがない。そもそも「ドコモダケは語らない」のであれば、絵本なんか出さなくてもいいんじゃないか。
キャラクターたちが左から右へ歩いていく、絵巻物的な構成になっているわけですが、最後のページにたどり着いた時、すなわち読み終わったあとのカタルシスがないのです。たとえばシルヴァスタイン(倉橋由美子訳)の『ぼくを探しに(原書は『The Missing Piece』)』も同じ流れですけど、このストーリーのたどり着く高い哲学とは比較にならない。
いや、まあ比較することもないんでしょう。ただ、『ドコ ドコ ドコモダケ』を買おうとしている人で、『ぼくを探しに』を持っていない人にはぜひ後者を買うように強くおすすめしたい。
充分にオリジナルな世界観ができる前にキャラクターを動かしてしまった失敗例としては、ダイキンのぴちょんくんの『なみだがぴちょん』(いとう ゆみこ著)というのがあります。これも「だから何?」という読後感しか残らない作品でした。細かい内容説明はしませんが、ぴちょんくんも読者も救われないのです。むりやりテーマを見つけようとすれば「自分探しマニアが救われるためには誰かが犠牲にならなければいけない」という話になってしまうのです。これもオススメできない。
あ、ちなみに『なみだがぴちょん』を読んだことのある人には太田裕美さんの『僕はきみの涙』(『魂のピリオド』というMAXIシングルに収録されている)という歌を聴いていただきたい。似たような設定ですが、こっちは心に浮かぶ絵が美しいですし、ちゃんと救われます。テーマも描写もしっかりしているわけです。
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