すべてのコンテンツはペイドパブになる

前回ちょっと脱線だったんで話を戻します。

半年ほど前に広報室というところに異動になったんです。そこでこの「ペイドパブ(paid publicity)」(略して「ペイパブ」なんて言ったりします)という言葉を知りました。

ペイドパブとは、「メディアにお金を払って正式な記事(番組)風のものを作って掲載して(放送して)もらうこと」です。よくスポーツ新聞とかで「本紙記者も大2枚・小3枚で大マン足!」とかいいながら温泉旅館の話が書いてあったりしますけど、あれです。もっとはっきり言っちゃえば「広告記事」ですな。

ふつう新聞や雑誌の記事、テレビの報道番組というのは専門の記者(たいていはメディア会社の社員)が、ニュースソースに取材に行き、自分の視点で記事を書き、それを編集者が取捨選択して見出しを決めて紙面に載せるわけです。ほとんどのマスコミは広告を載せていますから、記事内容についてスポンサーからの圧力というのは当然あるわけですが、心あるメディアであれば記事を制作する編集部と、広告を取ってくる営業部とは組織から別々になっていて、記者ができるだけプレッシャーから独立した立場で記事を書けるように配慮しています。

一方ペイドパブでは、企業側が営業にお金を払い、営業から依頼された記者が、企業の「この商品・サービスについて書いてほしい」という要望に基づいて取材する。当然記事の中にはその商品の批判めいたことは一切出てこないし、掲載の前に何度も企業側のチェックが入る。ジャーナリストを自認する記者さんからしたらすごく傷つくことなんじゃないかと思います。「オレは御用ライターじゃないんだ、記者なんだ!」ってね。

体裁や文体が記事そっくりだとはいえ広告は広告ですから、そういう記事のページの端っこには(広告)とか(特別企画)とかいう表示があります。メディアによっては紙質やフォント、レイアウトまで細かく区別している場合もあります。放送法第52条で、放送CMは「その放送が広告放送であることを明らかに識別することができるようにしなければならない」としているように、まともなメディアであれば必ず広告記事と通常の編集記事との区別はつけているはずです。

ところが、この区別がいい加減なんじゃないかとおぼしきケースが非常に多く見受けられるわけです。特に(広告)とかの表示もないのになぜか企業の営業窓口の電話番号が大きく書いてある記事とか、「協力:○○株式会社」という微妙な表現の注意書きがついている記事とか、特に何か新製品を出したわけでもないのに、特定の企業のトップがやたらいろんなメディアのインタビューに答えていたり、とか。証拠がないのでなんともいえませんけどね。

さらに言うと、「記事書きますから広告ください」的な営業とか、「記事書きましたから広告ください」、「広告出さねえと記事書くぞゴルァ」・・・ここまでいくと犯罪か(^_^;)。

まあ最後のはオーバーですけれど、前々回書たようにコンテンツに付随する純粋広告の価値というのが減少してきているとなれば、直接コンテンツの対価としてお金のもらえるペイドパブの重要性は増大していきますよね。結果、微妙な位置づけの提灯記事や、「情報番組」と称した宣伝(インフォマーシャル、なんていう表現もある)が増えてくるのも当然なのかなと。

ネットメディアの世界ではこの問題はずっと前からあって、先日KFi(木村剛さんの会社)の勉強会で、CNETの御手洗さんの話を聞いた時も、「ネットではページは無限だから、記事を増やせば増やすほど、1ページ当たりのページビューは減り、広告価値も下がって(薄まって)いく。だから広告モデルは成り立たない」ということでした。

御手洗さんの個人ブログ「Log the Endless World」KFi Clubでの講演(講演のポイントがまとめてあります)
INTERNET Watch 97年の記事「広告モデルでの運用は可能か」

上でリンクしたエントリーで御手洗さんに「ペイパブってどうですか?」と聞いたんですが、「ビジネスとしてはポジティブ、ジャーナリズムとしては微妙」という感じの答えですね。すごく正直でいい人だなあと思います。御手洗さんの答えの中の「担保」というのは、従来のマスメディアにわれわれが抱いていた「不偏不党の立場で」「真実をわかりやすく伝える」的な信頼感はこれから誰がどうやって担うのか、という話です。

いままではメディアを所有しようと思ったら、放送のための電波の免許とか、送信設備とか、紙媒体なら印刷設備と販売網なんかをそろえなければならなかったのが、PCとインターネットのおかげで、その気になれば個人でもビデオ・写真・文章を駆使して世界中に伝えられる可能性のあるメディアを持てます。しかし、だれがそのネットジャーナリストたちのニュースを「正しい」といえるのか。

電波はいまだに免許制で、お役所の規制がありますから、「下手なことはしない」はずだとは言えます。しかし、その業界を支えている枠組み自体が崩れてきているわけですし、民放連が言うように「すべての番組をCMごとリアルタイムで」見なければいけない、という考え方が浸透するとも思えない。

一方で「いままでの信頼感が間違ってたんじゃないの?」という思いもある。ペイドパブなんていう微妙な位置にあるコンテンツが普通に存在しているわけだし。

たとえばTVでiPod mini発売のニュースをやっていたとして「iPod miniという製品が出ました。みんな行列してます。これはどんなものかというと・・・」というレポートをしたとして、これは広告だろうか? 「A社がこんな製品を出しましたが全然売れてません」というニュースが流れた時、これがライバルのB社によるネガティブ広告ではないと誰が言える?

「(広告)」表示に頼り切ることはできないし、みんな何かしらの利害関係を持っているのだから、結局は個人で判断するしかないんじゃないでしょうか。もう開き直って「すべてのコンテンツはペイドパブである」くらいに考えた方がいいんじゃないだろうか・・・ってなことを書きながら最後にこの記事を紹介しておきましょう。はたしてこういうメールは「広告」といえるのでしょうか?

「合法な」スパムメールが急増–セキュリティ対策企業が警告

「個人での判断は可能か」という問題を残しつつ次回に続く。


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1 Comments

  1. デジモノに埋もれる日々

    「広告でもあり知識でもある情報」との付き合い方(後編)

    (※この記事には 前編 と 後編 があります。)
     
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